ざれごとしりーず。

特に最近は俺は「人」ってのが何なのか分からん。

そもそも人づきあいってのは、表面上のものと、心という付き合い方があると甘い考えを持ってるのが俺です。

例えば、好きではない相手それが異性であれ同性であれ

正面からぶつかってきたら、正面からこちらもぶつかります。

帰り道、歩いて帰っているなか「バイバイ」と言いグループからはなれる。

離れたすぐにそのグループが分かれて帰った子の陰口をたたく。

世の中なんて「完全なる善」は無いにしても、

自分がしてることがはたしてイイことか悪いこと、

そのどちらかは本人が分かってるはずであろう。

俺も人のことを悪くも言える立場ではない。

こうして文章にしてるのも、結局は自分が納得がいかないから愚痴にしかならないのだろうし。

俺はいつも馬鹿だから、すぐに人を信じてしまい「話さないで」と頼まれれば話さない。

その「話さないで」と頼まれた話が広まっていてその話を「話さないで」と頼んだ本人が話している。

何のための口止めか?

人の好意としての行動にケチをつける。

良かれと思いしたことに、自分では発想もできないこと又は実行に移せなかった事に対して、

「そんなもの必要ないよね〜」

と、俺を巻き込んで話すのはやめてくれ。

モノには必ず影ができる。

人間である以上僕らも影がある。

影の部分をできるだけ見せたくはない。

だからといって、何でも正直に自分の気持ちを言葉に出すことは

俺は苦手である。

なんせその言葉で相手が傷つくのは

とても分かるのでやりたくも、受けて傷つくのも嫌いだ。

自分が楽しければいい。

楽しいの「楽」は「らく」とも読める。

仕事が楽しい。

仕事をラクして簡素化し、まるで決められたことしかしない人間にはなりたくない。

いつも人に裏切られ、

いつも信頼した人に対しても裏切られる。


社会とは集団生活である以上、協調性も大切だ。

しかし協調性と派閥はちがう。

だから最近、自分の会社におけるポジションが凄くダルイ。

いろんな意見がでるなか、

「面倒くさい」

だけで、自分のリスクを伴うことすら嫌う人間。

元々は楽しく酒を飲める仲だったが、

最近は苦痛でならない。

酒の席で出る話題は決まって陰口だからだ。

その会話の中に「使えない」という言葉がある。

人間はモノじゃない。

自分の思い通りに動いてくれる人が「使える人間」

であるのならば、自分の部下にたいして常に動けばイイのではないか?


自分はデスクで記録もせず、

介護のしごともせず、

それで給料を沢山もらっている。

凄く理不尽に感じる。

現場で働く我々は、補充がきくモノではない。

かつては俺の部下だった人間が、同じ主任になり、

なった途端に「辞めさせましょう、使えないから」

お前が何をしっている。

お前が知っている技術や知識は

その分からなくても必死に働いている人に分ければいいじゃないか。


とにもかくにも、今は凄く職場をかえたいが、

ケアマネを取るまでは我慢する。


そのためにも、もっと俺は頑張らなければならない。

人に優しく。

人を大切に。

言葉をたいせつに。


以上が俺がいつも考えていること。